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鹿児島地方裁判所 昭和45年(わ)141号 判決 1971年11月30日

被告人 前田力

昭一六・四・一〇生 農業

主文

被告人を懲役七年に処する。

未決勾留日数中四五〇日を右刑に算人する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、実父前田正行(明治四〇年六月二〇日生)の次男で、鹿児島県鹿児島郡吉田村宮之浦三四九八番地の自宅に父正行および内妻中村スギ子と同居して、父正行と共に農業のかたわら山林の売買などをしていたが、被告人および父正行とも平素は至って温和で、親子の仲が格別円満を欠くということもなかったものの、いずれも性来酒好きで特に父正行は近時すでにアルコール中毒の様相を呈し、しかも両者ともに酒癖が極めて悪く、酩酊するとその人柄が一変し、被告人の方は性粗暴となって些細なことにもすぐ激昴し、父正行の方はともすると口汚なく悪態をつくため、しばしば互に酒に酔って口喧嘩をなしたあげく、被告人が父正行を殴打する等の振舞に及ぶことがあった。昭和四五年五月二三日の晩、来客があったので父正行をまじえて自宅奥西側六畳の間で飲酒中、被告人が父正行に対し、同人がその日朝から焼酎を飲み酔いつぶれたため予定していた山林の買付が出来なかったことなどにつき文句を言ったことから口論となり、内妻スギ子が正行を奥東側四畳半間の納戸に寝かせたが、正行がなおも大声で悪態をつき、わめき散らすことに立腹し、右寝ている父正行の顔や胸を足蹴りしたり手拳で殴打するなどの乱暴を加えたため、正行の左目附近が内出血して醜く腫張したので翌二四日朝被告人は、自己が父親に乱暴したことが世間に知れるのを恥じて、父正行に対し「今日は人前に顔を出さないように。」と注意した。

ところが同日午後七時過ぎころ、自宅奥西側六畳間の囲炉裏端において被告人が来客の諏訪田重二らと焼酎を飲みはじめるや、納戸に寝ていた父正行がその席に顔を出したので、内心恥しさと腹立しさを覚えながらもやむなく父正行をまじえて飲酒したが、酒量がすすむにつれて、自己の注意を聞かずに人前に顔を出した父正行に対する憤満が次第に抑え難くなり、同日午後八時三〇分ころ、酩酊して納戸に引込んだ父正行に対し囲炉裏端から「どうしてそんな顔をして人前に出て来たか。恥さらしな。」と怒鳴ったところ、同人から「これは俺の恥ではない、お前の恥だ。」、「俺は何もならないのだから、打ち殺したければ打ち殺せ。」などとしきりに悪態をつかれたため激昴し、同日午後九時ころ、右納戸において、寝ている父正行の胸などを前後の見さかいもなく足で蹴ったり踏みつけたり、あるいはその胸倉をつかんで後頭部を附近の箪笥や板戸などに打ちつけたりするなどの暴行を加えて左第五、六、七、八、肋骨骨折、後頭部打撲傷等の傷害を負わせ、その結果、同日午後一〇時ころ、右自宅表東側四畳半間において、右傷害等により父正行を死亡するに至らしめたものであるが、被告人は右犯行当時心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の標目)(略)

(殺意を否定し、尊属傷害致死と認定した理由)

本件公訴事実は、被告人が「あるいは父を死に至すやも知れないが、死亡させるもやむを得ないと思い、」判示の犯行に及んだ(尊属殺人罪)というのである。

右殺意について、被告人の昭和四五年六月一日付、同月二日付、同月三日付の司法警察員に対する各供述調書、同年同月五日付、同月一一日付の検察官に対する各供述調書には、「打ちどころが悪ければ、或は死ぬかも知れないとは考えた」、「父を殺してもかまわないと言う気持でやった」等の未必的殺意を肯認する供述記載がある上、前掲証拠によると

(イ)  判示したように父正行はアルコール中毒の様相を呈しており、飲酒した際には、ところかまわず寝たり放尿したりし、あるいは、被告人から充分焼酎を飲ませてもらえない等と世間に言触していることや、なおまた父正行が不動産業者の古賀栄と組んで同じ村の未亡人の田畑を競落して世間の悪評を買っていること等のため、被告人はかねてから世間に肩身の狭い恥かしい思いをし、父正行に対して不満を懐いていたこと、

(ロ)  判示したように、被告人は飲酒した際には、常日頃父正行に対して暴行を加えていたものであり、このことは附近でも評判にもなって、親戚の者、殊に実姉の藤田エミ子からは「あんまりお父さんを叩くと今に叩き殺してしまうぞ。」とまで注意されていたこと、

(ハ)  本件犯行は、父正行から「打ち殺したければ、打ち殺せ」等と悪態をつかれたことに対応してなされたものであり、かつ泥酔して殆んど無抵抗の状態にあった老令の父親に対し、その場に居合せた諏訪田重二の制止にも耳をかさず、身動きの出来なくなるまで執拗に判示の暴行を加えたものであること、

以上の各事実を認めることができ、これら事実と被告人の前記供述記載等をあわせ考えると、被告人が未必的殺意をもつて本件犯行に及んだとの疑いが多分に存しないわけではない。

しかしながら、被告人は、当公判廷で殺意を否認するだけでなく、司法警察員に対する前記供述調書(昭和四五年六月三日付)中にも「このように蹴ったりしたらどうなるかということも考える余裕もなく力一杯蹴ったようです。」との供述記載が存するので、被告人が果して殺意を有していたものかどうかについては、なお慎重な検討を要するところ、前掲証拠によれば、被告人の母は、被告人が三歳のときに死亡し、爾来父正行が再婚もせずに残された四人の子供を祖母と共に育て、やがて姉二人は他家に嫁ぎ長男は家を出て一家を構えるなどしたため、結局、末子の被告人が家に残って判示したように父正行と共に農業のかたわらパルプ材用の山林の売買をして暮していたもので、殊に被告人は山林の見積りが出来ないこともあって山林売買については父正行は欠くことのできない存在であった。かくて、被告人と父正行の絆は強く、平素被告人は内妻中村スギ子と共に父正行の面倒をかなりよく見ており、他方父正行も、本件犯行の数日前たる五月二〇日長女藤田エミ子に対して、自らのつくった借財は返済をして被告人らに迷惑をかけぬ旨を語り、また実姉横山ヱイから、本件犯行前夜被告人に殴打されて出来た顔の傷のことを尋ねられた際にも、「倒れた時うった。」と答えて被告人をかばうなどしており、このような平素の被告人と父正行との関係を考えると、かねてより被告人が父正行に対して懐いていたという前述のような不満も、親子間に強い確執をもたらす程深刻なものであったとは認められない。

また、上述のように、被告人は本件犯行前日にも見られるように、それまでにも酩酊のうえ再三にわたって、口汚く悪態をつく父正行に対して殴る蹴る等相当激しい暴行を加えているが、これらの暴行と本件犯行時における暴行とを対比してその間に、程度の差こそあれ本質的な差異があったものとは認められず、また被告人の父正行に対する心情に格段の変化があったと認めるに足る証拠も見出し難い。

そこで、これら諸般の事情に、本件犯行当時被告人が心神耗弱の状態にあったこと等を総合して勘案すると、被告人が父正行の死に至るまで認識し、更にはこれを認容したうえ本件犯行に及んだものとの前記供述記載は直ちに信用し難く、その旨の認定をするには躇躊せざるを得ない。

要するに本件は、判示したように酩酊すると粗暴となり些細なことにも激昴する酒癖を有する被告人が、犯行時多量の飲酒によって高度の異常酩酊に陥り、いつもの父正行の悪態に誘発されて激昴し、本件暴行に及んだものであって、その間に、被告人が(未必的)殺意を有していたと認めるに足りる証拠はないというほかはない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇五条二項に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから刑法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をなし、上述の諸般の事情に、被告告人は犯行後その非を悟り一旦は警察に自首しようと考えたこと、被告人はは昭和四四年鹿児島簡易裁判所で暴行罪により罰金七千円に処せられたことがあるほかに真は前科前歴もなく、その酒癖の悪さを除けば、今日まで一応真面目に過して来たものであること等をも彼此考慮のうえ、所定刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち四五〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させるこことする。

よって主文のとおり判決する。

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